English / Japanese
膨大な記憶と時間を象徴する一面に吊るされた大量の古着による壁。
そこに投影される映像もまた記憶のメタファーとして儚く現れ消えていく。
そして、その間に屹立する4つの身体。
その抑制された動きは、個々の存在を浮かび上がらせ、それと観客とが対峙せざるを得ない関係性を作り出すことを狙った。
「存在を見る」ということ。
じっと向き合い、そこに在るものを、在るものとして見る。
その向こう側に見ている自分という存在が現れてくる。
「現(うつつ)」という言葉。「現(うつつ)なれ」という希望。
存在するという確証、実感、現実感が感じられない。自分にとって「現実感」とは何なのだろう。
「現(うつつ)」という言葉は現に存在しているものという意味だけれど、その音から感じるのは逆に浮遊感とマボロシ感。
「そこに在る存在を見る」という漠然とした構想の中、パフォーマーとの作業の中でも記憶に対してのアプローチが多くなり、この作品は様々な記憶の断片から紡ぎだされました。
現在を導きだそうとすると、記憶を掴みださなければいけない。
でも、それは過去をなぞるようなものではありません。
そこに在ること、そこに見えてくるものをそのまま感じてもらえたらと思います。
そして、その向こう側にもし何か見えたなら、それがこの作品にとっても「現実」なのだと思います。
(公演パンフレットより抜粋)